その無駄を殺すな

 花粉症の人が、他人の家で過ごしている時にティッシュを無尽蔵に使うのを、その家の人間が怒ったことがある。確かに際限なくティッシュを消費し続けることになるので腹が立つのだろうが、その程度のことで怒るのも器の小さい話だ。最後にそいつは「花粉症の鼻水は手で拭け」と言い放った。

 とはいえ当人は「自分の家だから」とティッシュで鼻をかむわけだ。その状況が許せなくて、僕も「お前の家では来客にティッシュを使わせないんだな」と詰めた。その後はうやむやになったが、その辺りでそいつとの腐れ縁が腐臭を放っていたことは否めない。もはや会うこともない人間である。

 ティッシュの例は極端なのだが、生活の一部で無駄だと思うことをカットした瞬間、心が貧しくなることがある。僕は、先日来ずっと食事をちょっとだけ制限している。保健指導の人間と話している時はなんてことないと思っていたのだが、今すこしずつ心を蝕んでいるものがあるような気がする。

 食事を見直す時に「パンとか間食はしますか」と問われて、それくらいは我慢できると思って「しない」と答えてしまった。でも、僕は週に一度くらいの頻度でアイスが食べたくなる。それ以外に間食が常態化しているわけではないのだが、アイスだけはたまらなく欲することがある。それが今だ。

 保健指導にとっては、普通の家庭料理だけを食事として採っていると計算した方が数値化しやすいから、それ以外のパンとかお菓子を排除して効率化を図っているのだろう。それもすべて、僕の体重やら中性脂肪やらの数値が悪いからだ。僕のために計算してくれている。そう思うからガマンする。

 でも、やっぱりこれはガマンなのだ。自由を抑制されているのだ。耐えられないとか暴れだしそうとかいう話ではなく、する必要のないガマンをしていると感じているのだ。たまに食べるパンやアイスを無駄と切り捨てる効率の権化に反抗しているのだ。なので、無駄じゃないと感じたら食べよう。

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こんなにたくさん無駄のように思うけれど、全部必要な室外機なのだろう。