軽量ティアドロップ

 最近、やけに涙もろい。些細なことで泣けてくるのは30過ぎてからのことだが、そこからさらにワンランク涙もろくなった気がする。劣化したパッキンを放置してきたので、さらに漏れるようになったのかもしれない。特に人前でエモい話をしたいと思った時に、この老化現象の厄介さを感じる。

 酒場である動画の話をしていた時のこと。その動画はミュージャン同士のインタビューで、その酒場の店主が好きなミュージシャンが憧れの人と話すという内容だった。その店主は、憧れの人側が偉そうで気分が悪かったという感想を持っていた。僕にはそう見えなかったので、改めて動画を観た。

 やはり何度観ても面白いインタビューだ。笑えるという意味ではなく、新しい側面が出ていて素の表情も垣間見れる良い動画なのだ。後日また店主にその話をしてみた。すると「じゃあ観てみる」とのこと。数日後に聞くと、感想が変わった。やっぱり「面白かった」との答えに瞬間的にジワった。

 こういう単純な気持ちの伝達がやけに嬉しいのだ。こういうことのために生きていると実感する。人をひとりでも多く喜ばせたいよ。そんなふんわりした思いが湧き上がってくる。店主と話をしながら目が潤んでいるのを感じるが、それを抑える術はない。ただ、涙が落ちないように我慢はするが。

 僕の周りの人間でも、自分の感動を誰かに伝えようとすると目が潤んでしまう人は多い。その姿につられて涙目になる時もある。でも、涙ながらに話すと、こちらの肝心の気持ちが伝わらないのだ。中年の泣きがノイズになって、話の内容が入ってこない。中年は良い話をしたいものだが、無理だ。

 先日ある番組を観ていたら、涙が止まらなくなっている人が出ていた。気持ちが伝わったことが嬉しくて泣いているようだ。その時に、僕に起こっていること、そして僕が恐れていることは「これだ」と思った。感動の正体を理解できたことと、泣いた時の見え方を客観視できたのだ。泣きながら。

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工場や工事現場を観るのが好きだが、ここは不思議と涙にはつながらない。