心に小さなファイアー

 先日、朝から家に電話があり、妹の娘が第一志望の高校に合格したとの報告があった。母親からの又聞きだが、それを聞いて後から僕も妹にラインを入れた。無性に嬉しかったので「何か欲しいもの聞いておいて」と送った。いま自分に良いことがあっても、ここまで嬉しくはないような気がする。

 受かった高校の名前を聞くと、ちょっと変わった高校のようだ。個性的と言うか、独自のカリキュラムというか。そういう選択をできるという点で、すでに独立心が芽生えているんだなと感動してしまう。中学生の僕は、かなり安易に高校を決めた。僕と同じ高校に通った妹もまた、安易に決めた。

 そんな僕らの安易さに比べると、姪っ子はしっかりと考えて選択したと思う。自分で考えて選んで、そのために勉強して受かったわけだ。努力した結果、手に入れた成功体験だ。こういうことが自信になるんだと思う。果たして僕らは安易受験で成功体験を得られただろうか、などと考えてしまう。

 僕は他人に過剰な感情移入をしてしまうことがある。かなり前のことだが、高校以来久しぶりに会った同級生が不倫していた。僕は彼の結婚相手を知らないので、その話を聞いた時にあまり嫌悪感を感じなかった。それよりも初めて見る彼の「恋する中年」の顔が新鮮で、思わず応援してしまった。

 姪っ子の受験と併記するのは失敗だなと思いつつ続ける。僕にとって、彼の不倫は単なる恋愛のひとつなのだ。妻帯者だという事実は、逆に恋の成就を妨げる舞台装置のようなものだ。まるで僕が不倫しているように、その恋愛模様を楽しく拝見していた。いや、単に彼の話を聞いただけなのだが。

 不倫は必ずバレるものらしい。当事者じゃないので、その辺の修羅場は僕のあずかり知らないところだ。ただ、ひとときの面白話として堪能させてもらった。姪っ子の高校合格は嬉しいことだが、伯父さんとしては高校生活という現実への期待と不安も見届けなければならない。全力で応援しよう。

f:id:SUZICOM:20220204104449j:plain

階段を上り詰めた先に必ず頂上がある。この写真では大船の巨大観音がある。