呼吸をするように失念の日々

 それほど飲み過ぎているつもりはないのだけれど、最近やけに記憶を飛ばしている。重大な過失を犯すことはないのだが、その欠落した時間のことは気になる。別の日にシラフの僕が話したことを、全て「前に聞いた」と言われて慌ててしまった。もう新しく起きた出来事しか話せないではないか。

 記憶喪失中も普段の延長線上なので、特に意外な話はしない。と言うより、最後に覚えていることを何度もループしていることが多い。同じ話をその日のうちに繰り返すなんて、壊れたレコードのようではないか。この壊れたレコードというクリシェは通用するのか、甚だ疑問ではあるが構わない。

 とにかく、先日行きつけの居酒屋で僕が開陳した酔い様は、後で聞く限り赤面滝汗ものの恥ずかしさだったのだ。なんかエモいのだ。心の最深部の鍵を開けてしまったかのように、割とカジュアルに僕の本質に近い趣味の話をしている。油断ということだろう。我が家でもないのに寛ぎすぎである。

 それでも確認せずにはいられない。それは同じ話を繰り返さないためと、話した地点からさらに僕の最深部を拡張して人間の深みを足さなければいけないからだ。そんな必要はないと人は言う(いや、言わないとは思うが)。それでも深めておかないと、深い場所に埋めておかないと安心できない。

 しかし、ほんの2時間前後の会話で底が露呈する僕の中身ってどんだけ空虚なのだろう。それは翻って言えば、なんでも入るということだろう。なんでも入れるためには動かなければいけない。学ばなければいけない。それは学生が得意とすることで、仕事が足かせだと言い訳できる身では難しい。

 まあ、居酒屋での話なので、そこで開陳した最深部というのは音楽の趣味の話だ。普段からなんでも聴くと言ってはいるが、あまり人前で言わないバンドの話でもしたのだろう。記憶がないから断言はできない。それに、彼ら彼女らだって確かな記憶とは言えないのだ。万物は流転するとも言うし。

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撮った記憶が一切ない写真。電車を寝過ごせば見られそうな汎用日本の風景。