食欲の季節と言いますが

 最近やたらと腹が空く。今年のアタマから続けている食事制限やら、ジョギングやらのせいかもしれない。とにかく、どこかで爆食の扉を開きたいとは思っている。食べるために控えてきたという感覚はある。その準備はできた。どうやって大食いしてやろうかと思っているのだが、まだ準備中だ。

 酒場の仲間で、たまに出かけては変なモノを食べるのを楽しみにしている人間がいる。先日も記したが、僕は美味いものを食べる機会を逃したくない。チャンスがあれば、その土地の美食を頂きたいと思っている。でも、その仲間は逆なのだ。マズいものに出会うと嬉しくなると言う。変態である。

 ただ、その持論に改めて耳を傾けると、それも確かにと思うところはある。それは「両端を極める」という思考だ。美味いものだけを食べていたら比較ができない。マズいものから普通があって極上の美味に達するのならば、その段階を経なければ真の美味さは分からない。そんなコジツケである。

 僕も、期待して行った店が自分に合わずにガッカリすることは仕方ないと思っている。それはマズいと言うより、僕とは合わないという相性の問題だ。そして、何よりも大きく作用するのは気持ちの問題だ。その店から客を見下したような気配を感じ取った瞬間、どんな美食も瞬間的にマズくなる。

 先の酒場の仲間が言うのは、しかし、そう言うことではない。誰がいつ食べても安定してマズいことが、やはり大事なのだ。その話を聞いて「行ってみた」という人が確実に「マジでマズかったよ」と言う報告を何よりも楽しみにしている。やはり、人間は変だ。マズいと分かっていても行くのだ。

 僕らの中では確実に一軒、いつでも体感できるマズい店がある。すでに2回、仲間たちと訪問して間違いないことは確認済みだ。僕はもう行かなくて良いと思っている。振り幅を広げるための経験としては2回で十分、いや多いくらいだ。でも、その仲間はそろそろ行きたくなってきているらしい。

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東京せんべろ聖地のひとつである赤羽にそろそろ行きたいが、混雑は避けられない。