荒くれハウンドドッグ

 僕が日々走っているジョギングコースは用水路沿いで、そこには遊歩道が並走しているので散歩コースでもある。また、釣り人もいるので寂しい道ではない。もっとも多いのは犬の散歩だろう。リードを目一杯伸ばして散歩している人は迷惑だ。犬の挙動が読めないので大きく迂回することになる。

 また釣り人にしても、ウキ釣りは特に気にならないが、怖いのはルアーフィッシングの人だ。リールを持っている人間の後ろを通るときは、足音が大きく出るように強めに地面を踏んで行く。釣り人が急に後ろに振りかぶって引っ掛けられないための注意喚起だ。いまのところは被害は出ていない。

 釣り人に後ろを気にして欲しいと願う気持ちは、傘を後ろに大きく振る人への忸怩たる思いと似ている。そんな輩を見るたびに、この世界は「個人の所有物ではない」と説教したくなる。でも、そんな言葉が伝わらないから傘を振るのだろう。普通の思いやりがあれば雑踏で傘を後ろに振らない。

 そんな思いやりに欠ける存在のひとつとして、路上に置き捨てられた犬のフンを挙げたい。最近は、散歩の際にフンの処理セットを持って出かけるのが通常なのだと思う。それでも路上のフンは絶えない。僕のジョギングコースにも、道の真ん中にドカッと置き捨ててある。それも、何箇所かある。

 僕が子供の頃のように、犬がまだ野生に近いというか、それでいて世界がまだアスファルトコーティングされていない頃であれば、路上のフンにそれほど目くじらは立てなかっただろう。子供にとってフンはアトラクションだ。誰かが踏んだら鬼ごっこが始まるし、その形状が変だったら笑えるし。

 でも、僕が勝手に犬のフンと決め付けているアレは、果たして犬由来のものなのだろうか。排泄シーンを目撃したわけではないので犬ではないかもしれない。長年の勘が「犬でしょ」と判断しただけで、それは人由来の可能性もある。そうだとしたら余計に気分が悪いが、ドラマティックでもある。

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ケチな性分だもんで、町歩きでは足元を見て何か落ちていないか探している。