優しい人を虐げる国

 こんな世界に生きていると、たまに大声で愚痴のひとつも言いたくなる。でも、その箱のフタを開けた途端に際限なく溢れそうな気がするのでガマンしている。おそらく誰もがそんな気分で去年からの状況を過ごしている。物分かりがいいワケじゃない。ただ、自分が折れないよう耐えているのだ。

 我々は決して従順な国民ではない。国民が政治的な発言をしないのは、この国の政治に絶望ないし、信用がないからだ。戦後の成り立ちからして、この国の政府は怪しい。別にそこから遡って疑っているわけでもないのだが、とにかく信用はしていない。そんな中で、苦し紛れに選択しているのだ。

 そんな苦渋の選択を反故にするような無能っぷりを披露して、その上最後の尻拭いも末端に任せるような体たらく。これは政党批判ではなく、結局この国で政治を執り行うと、為政者はそうなってしまうのだ。判断力がない。これが国民性だと言うのならば、どこまで遡れば改革できるのだろうか?

 戦国大名などは、まあ彼らに政治家という自覚はないだろうけど、誰もが殿様として自分の領民のために戦っていたと思われる。その領地のサイズまでは責任感を持って守っていたのだろう。そして、それ以降も政治が責任を取れるサイズ感は変わっていないと思われる。それは票田というヤツだ。

 その最後の砦だけを死守しておけば、とにかく自分は安泰だという意識を感じる。大局的な判断よりも自分の地盤を考えているので、動きとしては常に後手で遅い。そして今、いつまで経ってもネクストステージに発展しないのは、誰しもが負ったことのない責任の前で途方に暮れているのだろう。

 こんなことは言いたくないのだが、僕の友だちで政治的なことを一度も言ったことのない主婦でさえ、今の状況を(政治的な判断の不甲斐なさを含めて)憂えていた。この状況は初めから無理ゲーだったと思うが、まさか国の指示系統までもが無理ゲーに無策で乗るとは思っていなかった。誤算だ。