じりじり迫るを踏みにじる

 いま、今月内に締め切りの仕事で忙殺されている。締め切りのある仕事は、いくら良いペースで進んでいたとしても、それがすべて終わらないと安らげない。不測の事態を考えてのことではない。自分の心がもつ気がしない。今日はここまでと決めても心の奥で残務がチラつく。それがツラくなる。

 人並みの責任感はあるので頼まれたからには完遂したいと思っているし、これまでも完遂してきた。今回も何とかなるだろう。ただ、社会の閉塞感のせいか心の逃げ道が狭く感じる。そうか、この気分が人を追い詰めるのか。そんな風に感じる。状況を俯瞰することで自分を取り戻すことができた。

 状況を見直したところで僕の置かれている立場は変わらない。例年では共同作業だった業務が、人員削減によりワンオペになった。僕の苦手な業務もコチラに回ってきた。それのスケジュールが組めない。見通しが立たないのだ。それが僕を焦らせている。家にいても、眠っていても考えてしまう。

 そういえば、会社に勤めている時はいつでもそうだったな。常に仕事が動いていて、ひとつの締め切りは別の仕事の始まりを意味するだけだった。落ち着くヒマはない。生きている限り動き続けているのだ。万物は流転する。そんな意味ありげなことを言いたくなる。キープオンロッキンなんてね。

 忙殺され、心が荒んでしまっても、僕には酒場がある。そこに行きさえすればリセットされるのだ。そこに仕事はない。僕が持ち込みさえしなければ、ない。でも、昨今のテレワーク環境のせいか、酒場で軽く仕事をする時がある。以前はノマドワーカーへの憧れがあったが、やめときゃ良かった。

 酒場を職場にするのは、一種の憧れだ。それは探偵モノの小説などに見られる設定だ。創作の世界だ。現実の僕が酒場にPCを持ち込んでカタカタやっているのは、周りから見たら「仕事を持ち込むな」という話だ。でも、一度ハマるとクセになる。酒場にも仕事にもアルコールにも依存している?