見えない災禍を忘れるひととき

 世間的には冬休みの時期だが、僕は特に休みということではなく、ただ仕事が入っていないので休んでいる。少し前に入った仕事を断ってしまったのが気がかりだが、締め切りのある仕事を納期内に納められそうもなかったので仕方ない。そう思いつつ、逃した魚の大きさを想像して後悔している。

 できない仕事に挑戦しないと仕事は増えない。自分を拡張しなければいけないと自覚しつつ、僕の手習いのために仕事を割いてくれる会社などこの世に存在しない。今回チャンスをくれた会社にしても、いつも通りのギャラで締め切りも厳しめに設定された状態での仕事だ。はじめから無理なのだ。

 でも、自分の限界を知ると無力感に襲われる。こんな年の瀬の慌ただしくもテンションの上がる季節に、こういう薄ら寂しい感情に襲われたくはなかったのだが。単純に、僕に能力があれば良かっただけなのだが、そうだからこそ「できたはず」の仕事に思えてくる。暇な時にサボっていた罰だと。

 そんな些細なことで落ち込んでしまったので、年末に入っても忘年会もなく静まり返った酒場に顔出して気分を上げてきた。静まり返ったというのは嘘だし、落ち込んだから飲みに行ったというのも嘘だ。何故こんな嘘を口実にして飲みに行かなければいけないのかと言えば、時勢への配慮である。

 酒場で忘年会が行われていないのは事実で、みんな個人の客がひとりで今年を総括している。いや、ただ普通に飲んでいる。今年は、過去に例を見ない自粛の年になってしまったが、そのことばかり考えているわけではない。そのことばかり考えないと、即「緩んでいる」という話でもないだろう。

 休みに入るまではワイドショーが現状についての脅迫めいた報道を繰り返していたが、やはり年末の特番はおもしろバラエティとドラマのまとめ再放送で占められる。休み前に感染症への警告を大量投下したので、あとは「家で楽しんでね」ということだろうか。偶然、僕の現実はそうなっている。

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感染抑止にマスクという発想から離れて、いっそお面をつけて出かけようか。