大きな声でさようなら

 誰かと明確に決別することは、死別以外では滅多にないものだ。もう2度と会いたくないと思っていた人間だとしても、生きていれば再会する可能性はある。再会したときに許せていなければ、また長いお別れをするだけのことだ。いつか許せて、そしてタイミングが合えばまた会うかもしれない。

 いつでも会えると思いながら、微妙な距離の移動を億劫がって会わずにいる友達はたくさんいる。そんな友達のことは今でも大好きな仲間たちだと思っているけれど、もしかしたらこのまま一生会わないかもしれない。僕は出会い運のようなものがないので、絶対に街でバッタリとは会えないのだ。

 だからと言ってわざわざ会を設けて「みんな集まろうよ」と声をかけるのは照れくさい。もしかしたら、現状が緩和された頃にディスタンス解除飲み会のようなものを行うかもしれない。そういう意味では、来年以降には良いキッカケが待っているのだ。いつになるかは誰にもかわからないけれど。

 学生時代に女性との交流が少なかったので、会いたいなぁと懐かしく思い返すのは暑苦しい男の顔ばかりだ。最近の僕は素直になってきたので、その頃のことをありのまんまに話せるようになったと思う。ただ、時間が経っているので事実かどうかは知らない。僕にとっての本当のことでしかない。

 先日、同級生の女性ふたりと話していて、その頃のことを素直に打ち明けた。僕が中学生になった辺りから女性を意識しすぎて上手く話せなくなったこと。だから、彼女らと共に学校生活を過ごした高校時代も、その名残で全然話せなかった。普通に女性と話せるようになったのは大学以降だろう。

 その結果、思い出の中の登場人物は男が圧倒的に多い。部活の仲間が主だった思い出の住人だが、部活に女性マネージャーがいる程度の男女比である。その中の全員と会いたいと思うし、会えないかもしれないとも思うし、中には会いたくないヤツもいる。それでも、いつかはみんなで会いたいぜ。