消極的なポジティビティ

 積極的に動くこと、縦横無尽に絶え間なく動き続けることが正義であり、躍動する人間の姿は賞賛の対象でもあった。そんな美徳を否定するとまでは言わないが、今だけは待機を強いられている。世界規模での待機状態だ。こんな状況の中で、世界情勢がどうなっているのか気になる部分はあるが。

 主に聞こえてくるのは欧米での変異したウイルス感染の報道と、アジアの一部で封じこみが成功したとか再び拡散しているとかのニュースだ。でも、報道されないだけで、この世界のどこかでは戦争が続いている。戦争だけが大きなニュースだとは思わないが、世界は変わっていないということだ。

 そんな紛争地帯では、こういう緊急事態にどのような対応・対策をしているのか。または、していないのか。鎖国ではないけれど、行動を制限している現状で正しく世界の動きを把握することは難しいのかもしれない。そこに目を向けたくても、状況が見える場所に体を動かすことができないのだ。

 そんな時こそリモートが生きるのだと思うし、コミュニケーションツールはいくらでもある。ネットで情報を拾うことは容易いが、信ぴょう性は低くなってしまうような気がする。目で見て検証することができない。結局いまだに、フィジカルな確認なしでは情報の確度を担保されないのだと思う。

 話を冒頭に戻すと、積極的に動いて自分発信のパフォーマンスを展開する人間がどんなシーンでもスターだった。その舞台が自宅や人と隔離された場所に変わっても、ツール駆使すれば近いパフォーマンスはできると思う。自分がやらないことを想像で記しているので、実感はまったく持てないが。

 ただ、理論的にはテレワークで済むことが多いとは言え、それだけで全てが済まない人もいる。動くことで役立っていた人間が、その肝心の武器を奪われてしまったという状況も考えられる。なんとなく体育会系の時代の終焉のような、部活人間にとっては寂しい感慨を抱いてしまう。負けねえぞ。

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年越しそばは、大好きな東日本橋蕎麦屋で過ごしたいものだ。大鴨ひとつ!