地元なんてない

 いま自分が住んでいるところは、生まれてから住み暮らしている市内の中で何度か引越しているので、ちゃんとした地元感がない。小さい頃は近所が近くて、同級生や同年代の子供も多かったので、家族間で行き来するような関係性の濃さがあった。でも、いまの所在地で家族ぐるみの往来はない。

 それは、ある意味では近所と依存しない独立を手に入れているので、生きやすさはある。同調圧力のようなものが生じないので、余分なストレスがない。いや、僕はもともと家族ぐるみの付き合いには顔を出さない方だったから気にならないのだが、最近の両親が気楽そうなのでそう思った次第だ。

 年代を遡ると、地元に根付くのはヤンキー体質の人が多かったような気がする。むかしの不良の学生時代は闘争の日々で、地域間でやられてはやり返すの繰り返しで戦っていたものだ。そうやって、地元を「守った」という自負があったかもしれない。いや、これは全て外から見た想像に過ぎない。

 ただ、自分の周りを見回してみると、本来持っていたはずの「地元」を喪失した人が多いように思う。地元というのは、単に自分が属する地域のことではない。もっと根強く刻まれた自分の属性だ。例えば、どんなに離れていても「帰る場所がある」というのが地元だ。そんな場所は、僕にはない。

 年齢とともに家族から独立して、自分発信の根城を気づいていかなければいけない。僕は地理的な独立はしていないが、根城という意味では酒場がそれに当たるだろう。帰る場所ではないが、いつ行っても誰かがいる場所ではある。そういう出没スポットを増やすことで、自分のエリアを拡張する。

 もうすぐ正月という時期になると、子供の頃は町内会の餅つき大会などがあったものだ。適当そうな大人ばっかだったけれど、そういう行事や催しが成立していたんだから偉いと思う。だいたいイチバン威張っているオッさんが何もしていないので、子供が大人を大嫌いになるのもこういう行事だ。

f:id:SUZICOM:20201228141019j:plain

盆暮れに親戚からホタテが送られてくる。これをいつも居酒屋に横流しする。