見たことのある世界

 近所のことでも、隅々まで知っているわけじゃない。特に、距離的には近いとはいえ、隣の市のことはわからないことだらけだ。自分が使う道や、最寄駅の周辺くらいしか目に入ってこない。自分が暮らす市内でも分からないことは多いが、何もない地域だと自信を持って言えるので何ら問題ない。

 たまにTVでわが町が紹介される時があるけれど、それはカレー特集などでパキスタン料理屋が取り上げられるだけだ。市の中心部に数店、パキスタン料理の店が集中している。そこを取り上げられても、僕としては何も誇らしさはない。ただ単に彼らがこの街に多く住んでいると言うだけの話だ。

 僕が小学生の頃、民族衣装的な装いの「掘りの深いアジア人」が市内に増えてきた。インドあたりから中東にかけての人々の顔は、国籍を見分けるのが難しいように思える。でも、当時僕らは「パキスタン人」だと聞かされていた。場所も知らない国から来た、言葉も分からない異国の人々だった。

 当初、彼らはクルマ関係の仕事をしていたと思う。日本で手に入れた中古車をアジア方面に輸出していたようだ。その拠点として僕の住む街が選ばれた理由は定かではないが、中古車のオークション会場が近いからと聞いたことがある。そして、気がついたら市の中心部にカレー屋を出店していた。

 むかしから「市の主要な産業は何?」と聞かれても思いつかないような土地だ。気の利いた飲食店もない。今世紀に入ってやっと駅ができたのだが、市の南の方にあるので、西北に住む僕の家からは遠いのであまり利用しない。だから、僕の行動範囲では隣の市の方が依存度が高いと言えるだろう。

 僕が足繁く通っている酒場も隣の市だ。その酒場で初見の人から「地元の人ですか?」と聞かれると少し困る。厳密に言うならば「隣の市です」と言うべきなのだが、他県の人から見れば隣の市の人も地元で構わないだろう。でも、正直に市の名前を言うと「あ、パキスタンの」と言われたりする。