子供の潔癖とこだわり

 僕が小学生の頃、学校からひとりで帰るときは、変なルールを作って遊びながら帰っていた。影を踏みながら帰るとか、道路の白線を踏んで帰るとか、その程度の遊びだ。途中で知り合いのおばさんに会ったりすると中断するので、家まで大した距離じゃないけれど意外と難しいミッションなのだ。

 別に誰に教えられたわけでもないのに、この手のひとり遊びは誰でもやったことがあるのではないだろうか。しかも、人に見られるとちょっと恥ずかしいのだ。それは昔の学校が「友達を作ること」を強要した結果、ひとりで遊ぶのを楽しんでいるのは寂しい行為との思い込みがあったからだろう。

 誰でもそうだと思うのだが、ひとりでいることは寂しくないし、ひとりが楽しい時もある。ただ、他人から排除されてなるひとりというのは許せない。ひとりを強要されるのは不愉快だが、自分で選んでひとりになるのは気楽だ。子供だって他人には気を使うから、ひとりでいる時間も必要なのだ。

 学校の帰りに「お友達と一緒に帰りなさい」などと言われるのは、地域の部外者から子供を守るための方便だろう。あの頃は学校の周りに明らかに変な大人がいたものだ。学校の校門を出てすぐの場所に陣取った物売りが、インチキな教材を売る場面も何度も見た。巨大な消しゴムが魅力的だった。

 ただ、当時はいくら僕がひとりになりたくても、周りには常に同級生が固まってしまうのだ。僕が人気者ということじゃなく、誰かひとりを突出させない圧力のようなものに近いかもしれない。よっぽど変なキャラじゃない限り、孤立させてはくれないのだ。孤立したければ嫌われるしかないのだ。

 今朝、ジョギング中に中学生くらいの子供に抜かれた。いや、小学生くらいだろうか。抜き去られた僕は、しばらく彼の後を追いかけた。ペースメーカーというヤツだ。すると、追いかける僕の足音に不穏なものを感じたのか、見えなくなってしまった。少年の孤独なひと時に水を差してしまった。

f:id:SUZICOM:20210727162222j:plain

大好きな野菜料理のプレート。子供にはわからない大人の味かもしれない。