今月末が誕生日の古い親友

 仲の良い友達ができると、いつかその関係は「壊れる」と思ってしまう子供だった。ずっと仲良しでいられないのなら、いっそ自分から離れてしまえと思ってしまう。または、そこそこ仲の良い友達を浅く広く作ってしまう。そういう保険のような関係を広げるうちに、関係が複雑化するのである。

 僕が子供の頃は友達をたくさん作るのが正義とされていたが、付き合いを広げると、子供の約束でもダブルブッキングが起こってしまう。携帯電話なんてないので、いつも「現地待ち合わせ」しかない。だから、断るにしても現地に行って「ゴメン、行けなくなった」と嘘をつかなければいけない。

 ある日も、仲間との待ち合わせに遊びに行こうとしたら、家に古い友達が遊びに来てしまった。来てくれたのに「帰って」とも言えないので、待ち合わせ場所まで行って「断ってくる」と待っててもらった。でも、現地に着くと考えが変わってしまった。そもそも先約はこっちだという優先順位だ。

 結局、家に友達を残したまま、外でさんざん遊んでしまった。夕方、暗くなった頃に家に帰ると、僕の母親と友達が二人で待っていた。気まずいことこの上ない。待っていたと言っても、その友達も手ブラで来たわけではない。工作に使うバルサ材を持参し、何かを一緒に作ろうと思っていたのだ。

 僕が、基本的にはインドア志向の人間であることを、その古い友達はよく知っていた。だから、おそらく僕に合わせてそういう道具を持って遊びに来てくれたのだ。でも、その頃の僕は外で遊ぶ楽しさに目覚めてしまった。外には刺激があったし、刺激的なものを一緒に面白がれる仲間もいたのだ。

 あの日のことを思い返すと、どうすれば正解だったかわからない。家にきた友達を連れて仲間のところに行けば良かったと思う反面、そこは相容れない関係だった気もするし、僕の中で分割されていたのだ。それぞれの関係を個別に独立させてしまっている。今でも友達同士を紹介するのは苦手だ。

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幼少期は、どの神社にも公園が併設されていた。回転する遊具で僕は溶けた。