時間泥棒ヘッドハンティング

 かつての僕はおおらかだった。友達と待ち合わせをしても、いつも最初に来ているのは僕で、後から来た連中を非難することはない。僕の中では「自分も遅れることがあるから」と思っていたが、もし仮に僕が遅れた時に他の連中が先に行ったら怒らなきゃいけない。そう思うと遅れられなかった。

 まあ、当時そこまでの強迫観念を持って待ち合わせに先についていたわけではなく、時間のやりくりが下手だったのだろう。普通に家を出たら待ち合わせよりも早い時間だったということが多い。そのころの我が家の朝がせわしなかったということだろう。急き立てられるように家を出るのだった。

 だから、自分の都合で早く来ているだけなのだ。誰かが来るまでの間の待ちぼうけ感も嫌いじゃなかった。とりとめのない思考の海を漂っている時間だ。それが、徐々に待つことが許せなくなる。遅れて来たヤツが言い訳をするようになるからだ。言い訳するということは、向こうに非があるのだ。

 一度言い訳されると、それ以降も遅れて来た際に「ごめん」のひと言もないとイラッとくるようになる。その苛立ちが重なって、次第にちょうどの時間に行くようになった。本当の僕は待ちぼうけを楽しむ余裕があったはずなのに、いつの間にかおおらかさを捨て、世知辛い生き方をしているのだ。

 今は僕が待たせる方になってしまった。時間に対してシビアではなくなった。仕事でもよく遅刻する。というより、厳密な時間を決めずに大体で予定を組んでしまう。時間にシビアであっても意味がない業務なので、それで咎められない。ただ、脳内の僕は「それでいいのか?」と常に聞いてくる。

 子供の頃、僕を待たせて不用意に言い訳をして苛立たせた連中も、今では遅刻せずに仕事をこなしているのだろうか。部活や会社でその辺の感覚を矯正させられるが、僕はもともと遅刻しなかったので、その矯正は逆効果だった。部活で一生分やり切ったと思ってしまい、そこからルーズになった。

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スマホが普及してから腕時計をしなくなった。柱時計も見なくなった。