誰かのために死ねるのか?

 これから記すのは、この世に体育暴力の嵐が吹き荒れていた、ある世紀末の架空都市の出来事である。その架空都市で大学のラグビー部に所属していた僕は、2年生になってすぐの朝練後に、ひとりの同級生を空気椅子の姿勢で待っていた。空気椅子。座った姿勢でキープ。今では10秒もたない。

 1年生までは、ほとんどの生徒が寮生だった。学年が上がり、部活の規律にも変化があり、今度はほとんどの生徒が寮を出ることになった。僕は家から通うことになったのだが、地方出身者は晴れて東京のひとり暮らしを始めることになった。架空都市が実在の都市名と同じことはよくあることだ。

 そんな春先の出来事、僕らが待っていたひとりは、正に先日寮を出てひとり暮らしを始めたばかりの青森出身者だった。これも実在の都市名と同じ。都市の地理的な特性も、実在の都市と同じと思ってもらって構わない。その青森出身者が、新体制となった最初の練習にいきなり寝坊で来ないのだ。

 1年生の頃から罰練のウワサは聞いていた。連帯責任で、同期全員が食らう罰としての練習だ。誰が呼んだのか、その名は「スペシャル」だ。試合の前に強化するための特別じゃなくて、ただ単に罰を与えるための特別。決まったメニューがあるわけじゃなく、その厳しさは先輩の資質によるのだ。

 スペシャルの担当教官はひとつ上の先輩たちだ。普段から比較的仲が良いので、つい甘い声を出しそうになってしまう。でも、こういうシゴキの場では鬼になることもできるようで、厳しい顔を崩そうとしない。理不尽なシゴキなので、当然途中で力尽きるのだが、それでも容赦してくれないのだ。

 いろんなシゴキのメニューをこなしてヘロヘロになった頃、青森出身者は頭を坊主にして現れた。朝練に遅れて坊主頭にしたということは、遅刻がわかった後で髪を切ってきたわけだ。それを見た瞬間、ほぼ全員が「刈る前に来いよ」と心の底から叫んだ。早く来たら早く終わっていたというのに。