無限の彼方に吹き飛ばされて

 高校時代、ふと小さなことで悩んだりすると、宇宙から自分を見ているイメージをして悩みを相対的に矮小化する友達がいた。その話は、自転車で学校から帰る時に、僕が小さなことで悩んでいたから出た。もしかしたら、小さいことで悩んでしまうという悩みだったかもしれない。小さな悩みだ。

 今は悩みはない。ただ、先送りにしている問題が山積みなだけだ。生きている間にそれらを解決する気があるかは微妙なところだが、潔癖なところがあるので「そうしたい」とは思っている。たぶん、山積みというほど積んでもいないが、面倒臭がって手をつけていないから少し埃をかぶっている。

 それらを解決する手段を講じようと思うのだが、僕は実務を回避する方法として先の友達の方法を流用している。宇宙視点から見れば「こんな雑務は些細なことさ」と、さらに先送りしてしまうのだ。そのせいで、手をつけるキッカケも忘れてしまった。本当に宇宙への逃避は使い勝手が良いのだ。

 別の友達が言っていたことは、この方法を少しアレンジしていた。悩みの根源を考えて行くうちに、宇宙の創造・ビッグバンまで遡ると、壮大すぎてバカバカしくなるという話だった。いろんなヤツが悩みに囚われるムダな時間をサクッと矮小化する手段を、宇宙からのインスパイアで行っている。

 先の友達の「宇宙から見たら」という考え方は、別の場面でも使える。同じ酒場の常連で、居合わせても目も合わせない気まずい関係の人間がいるとする。周りからしたら迷惑な話だが、当人たちの振る舞いには周りが解決してくれるのを待っているフシもある。そんなとき僕は、ふと宇宙を見る。

 同じ酒場で飲んでいる人間同士なんて、衛星から見たら「ほとんど重なっているぜ」という話だ。何度か言ったことはあるが、それがどうしたという顔をされた。そうか。宇宙視点は共通思考ではないのだ。GPSで位置を表示して重なっているなら、全員友達で「良いじゃねえか」と思うのだが。

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畑に不時着した人工衛星は、給水タンクとして再利用されている。