その日、誓いは破られた

 断酒を宣言して10日が過ぎたが、ここで単純なことに気が付いた。家で飲まなければ、断酒なんて容易いということ。出かけなければ良いし、出先からの帰りに寄らなければ良いだけの話だ。なんの苦労もない。このまま飲まずに一生を終えてることもできそうだ。ただ、死ぬほど退屈だけれど。

 数日前まではシリーズ物の小説を読んでいたので、家での退屈を紛らわすことができた。その流れで読書癖がつき、分厚い文庫本を土日で読破してしまった。まだ読んでない本も10冊以上あるので、読書で退屈を埋める余地は残されている。でも、家で本を読むことにも飽きてしまったのである。

 出かけなければ出費も抑えられるし、アルコールによるダメージも抑えられる。ただ、僕が酒場から得ていたものは日々の楽しさ、活力のようなものだ。それは自分の中に見出すものではない。他人からもらうのだ。そして、おそらく僕からも渡しているのだ。家にいると、そのギフトが不足する。

 ここに来て誘惑の種類が変わってきた。僕はアルコールには依存していないと思うが、酒場の人間関係には依存しているようだ。そのメンバーに属していたい欲求だろうか。その帰属意識が、僕を酒場に縛りつける。そのロープを一度断ち切った上で、新たなアプローチで酒場に通い直したいのだ。

 昨年、酒場利用頻度が惰性で増えてしまったので、もっと「今日は飲みたいな」と心底欲する時にだけ飲むように変えたいのだ。酒場に行きたいな、じゃなくて「飲みたい」で判断すれば機会は減ると思うのだ。そして、現在の僕は飲みたいとは思っていない。むしろ、酒場依存の症状が出ている。

 酒場からエスエヌエスで告知があるたびに、もう行っちゃおうかなと思うのだ。でも、酒場に行ってノンアルで済ますというのは、たぶん我慢できそうにない。一度試したが、その日は辛うじて飲まずに過ごせた。だが、次はない。飲まないのと酒場に行かないのは同義だ。もう我慢の限界である。