今年のことは忘れちまおう

 昨夜は今年はじめての忘年会で、高校の同級生たちと集まって飲んだ。そのメンツとは草野球チームでよく会うので、久しぶりなのは飲み会にしか参加しないマネージャーを自称する女性陣くらいだ。それらにしても年に一回は会うので、懐かしいという感じもない。それでも毎回、話は尽きない。

 高校時代の僕は、家ではメシを食って寝るだけで、ほとんどの楽しみは学校にあった。本を読んだり映画を観たりというインプットが少なく、学校だけがすべての世界だったと思う。本当は趣味を増やして多面的な人間になりたいのだが、初志貫徹する一本気な生き様のようなものにも憧れていた。

 そんな風に、自分のやり方を模索するような時期だったので、他人のことには興味が向かなかったのだ。色気付いて「彼女をつくろう」と必死になる時期なのに、僕としては「それどころじゃない」と感じていた。当面、部活だけが一生懸命やることだったが、それだけに集中していたかも疑問だ。

 だから、当時の記憶というのは恐ろしく曖昧なのだ。周りが見えていないので、誰が何をしていたのかを覚えていないのだ。そんな記憶の欠落を補完するために、同級生と会うのは大事な機会なのだ。そして、知っているような初めて聞くような話は普通に楽しい。それは、他の連中も同じようだ。

 仲間のひとりは、修学旅行の宿泊先での記憶がまったくないと言っていた。特に、泊まったホテルを全然覚えていないという。確かに高校の修学旅行の記憶は不鮮明だ。小学校から続くこのイベント、どれも似通っていて区別がつきにくい。特に中学・高校は学ランなので、映像記憶にも大差ない。

 また、当時の自分が感じていたことを話してみると、別の人間には全然違うように見えていたということも多い。僕の記憶は曖昧なので、勘違いして記憶している可能性も高い。当時の実感といっても、今の自分が「あの頃はそう感じていたんじゃないか」と想像しているだけなので、捏造なのだ。

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今ほど写真を撮ることが気楽じゃなかった高校時代、映像の思い出は少ない。