多彩な一人称の国

 僕は、ここでは「僕」と言っているが、リアルでも僕ということが多い。学生時代は、ほとんどの男子が「俺」と言う。少しでも強く見せるための武装である。それ以外の一人称を使う人間は滅多にいない。ただ、部活の上下関係があるので、先輩と話す時だけは「自分」と呼ぶことを強要された。

 自分と呼んでいたのは大学時代だけだ。それも、上級生になれば使わなくなる。ただ、社会人になって以降でも、年上の人間と話す時にポロリとこぼれることがある。それを聞いた相手から「ヤンキーみたいだな」と言われたことがあるので、あの業界でも後輩は「自分」と呼ぶルールなんだろう。

 仕事では基本的に一人称は「私」である。それが間違いない。たまに、若い人が無邪気に「俺は」と言ってるのを聞くと「頑張ってるなぁ」と思ってしまう。なんとなく社会との折り合いがついていないように感じるのだ。お仕着せのルールに抗って、せめて「俺」を守り通しているように見える。

 女子でも、ある時期よく自分のことを「ウチ」と呼ぶ子がいた。実際に自分の勤めていた会社にもいて、頑なに「ウチは」と呼ぶことをやめなかった。それは、本当に折り合いがついていないと感じさせる徹底ぶりだった。周りの反応はどうだって良いという無軌道さが、初々しくも痛々しいのだ。

 昨日、酒場で見かけた女性は、自分のことを「オイラ」と呼ぶ個性派だった。ある程度大人になって、自分の気に入った一人称を選ぶというのも面白いかもしれない。セルフプロデュースというヤツだ。その呼び方が板についていたので、かなり「モノにしている」と感じた。あまり違和感がない。

 僕が口語で使ったことがある一人称は「僕、俺、私、自分」の4つくらいだろうか。英語なら「I(アイ)」一択だが、日本語の私は種類が豊富だ。外国人のインタビューを和訳した文章を読むと、人によって「僕」だったり「俺」だったりしている。それはイメージ操作というより、意訳だろう。