能天気バチェラー貴族

 もうあまり聞かれることはないのだが、たまに知り合いから思い出したかのように「結婚してたっけ?」とか「結婚する気あるの?」と質問されることがある。以前はもったいつけた返答をしていたのだが、今では結婚しないのではなく「できない」のだと、能力として「ない」のだと思っている。

 とは言え「する気があるのか」と問われれば「なくはない」と今でも思ってはいる。でも、自分の気持ちではなく相手から選ばれていないという事実があるのだ。これまでプロポーズしたことはないが、あれは勝算があるパートナーに対しての出来レースのようなもので、機を見誤ってはいけない。

 結婚に関する質問を含めて独身でいることには慣れたが、死ぬまで絶対に結婚するもんかと意固地になっているわけでもない。老後のことを考えると背筋に冷や汗のひとつもたれてくる。自分の周りも同様に老いていくのだから、その過程で自分とも疎遠になってしまい、結果的に孤立するだろう。

 孤立した自分が人生を拗ねることなく、日々を明るく楽しく健全に生きていられるだろうか。必ずしも明るく健全である必要はないし、いまでもそれほど明るく健全ではないかもしれないが、楽しくない生活は耐え難いと思う。孤立した自分の楽しさを担保するものは金くらいしかないのだろうか。

 思考がダークサイドに落ちると、どんな生活でも楽しめないのかもしれない。そのためには、やはり健全な魂が必要だ。健全な魂は健全な体に宿るとむかしから聞く。つまりは健康だ。ジョギングは続けなければいけないだろう。走れることが拠り所になる。外に出ることで気分も晴れやかになる。

 現在のジョギングが、もしかしたら来たる孤立の日々への準備になっているのかもしれない。僕の中にはずっと孤立無援の状況への憧れのようなものがある。自分から進んでそうなりたくはないが、そんな状況になった時に試される自分の根っからの能天気を信じている。「ネアカ」と言うヤツだ。

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完全に孤立したら集合住宅に住みたい。できれば古いマンションを希望する。