シティポップ・シティ
何もなかったかのように復活しようと思ったけれど、しばらく休むと記した手前、戻ってきた理由のようなものを説明しようと思うのだが、理由なんて別にない。ただ、そろそろ「いいかな」と思ったので、祖母の月命日をキッカケに再開した。喪失感と雑務の日々は続いているが、薄れてもいる。
音楽はいつでも僕の心を軽くしてくれる。歌詞がわかる優しい歌が欲しいときは、日本のミュージシャンの曲を聴く。歌詞が煩わしいときは洋楽を聴くことが多いかもしれない。本当は両方をいい塩梅で混ぜて聴くのがラジオのエアプレイを聴くみたいで好きだ。現在は少しだけ日本に傾いている。
日本の音楽好きが結局どこに行き着くかというと「シティポップ」という独自のジャンルになる。海外に憧れる日本のミュージシャンの幻想みたいな音楽なのかもしれない。洋楽志向が強いこだわった楽曲なのだけれども、どうしようもなく日本的なエッセンスが含有された上質のサウンドなのだ。
知らない人に「シティポップとは何ぞや」と聞かれたら「山下達郎」と答えるだろう。他にも数人の重要人物はいるが、ネームバリューと仕事量などのボリュームでいえば圧倒的だ。でも、何にでも派生というものがあり、そういう枝葉の方にも美味しい実がなっていることはある。そんな世界だ。
僕は、このジャンルの音楽が嫌いだった。若い頃の話だ。洋楽至上主義の権化みたいな子供だったので、シティポップという言葉から気取った嫌味なヤツらを想像して、勝手に妬んでいた。こういうメタル好きの偏狭なところが、世間からメタルが嫌われる理由だろう。今でもメタルは大好きだが。
出かけるなという要望が県知事から出されている世の中だが、大型連休が始まってしまった。こういう浮かれた時期を家でやり過ごすためには、ネットと音楽の力を借りなければならない。浮き立つような気分にさせてくれるのはシティポップだ。しばらくは、そのジャンルを掘ってみようと思う。