君と動物園で見た

 独身の僕は、女性との交際など自由にできる身なのだが、肝心の相手がいないのでいつも1人で飲んでいる。こういう状態が長く続くと枯れるんだよなぁと思ったりもするが、そういう意味では十分長く1人なので枯れかけているかもしれない。こんな状況に慣れると熱量が上がらなくなってくる。

 最後に行ったデートはいつだと自問し、10年近く前だということに愕然とさせられる。その相手とはとっくに疎遠だ。確か上野動物園に行ったと記憶している。たまに動物園に行きたくなることがあるが、それは最後のデートの続きから人生やり直したいと思っているのだろうか。女々しい男だ。

 こんなことを記すと負け惜しみに聞こえそうだが、あえて言おう、僕は動物園に行くなら1人の方が楽しいと思う。動物への興味にムラがあるので、現地で「じゃあ別々に見よう」と提案してもなんら気にしない相手となら同行しても問題ない。けれど、たぶんそれではデートとは言えないだろう。

 きっと、各々の興味の対象を知りたいと思うのがデートだろう。僕は女性と同行すると動物よりも相手の方に興味が向いてしまう。それを察した相手から「好きな動物を見なよ」と諭され、その言葉に押されて自然に振る舞うために対象動物を探すのだ。でも、それでは動物大喜利になってしまう。

 猿山とかペンギンの群れを見ているのが好きなのだが、それを他人と一緒に見ていると何か話そうと思ってしまう。群れの中で起こる顛末をあーだこーだ言い合うことはできるが、そんな会話がしたくて見ているわけではない。僕は、ひとつの自然現象を見ているような感覚で群れを観察している。

 僕が季節外れの海を散歩するのが好きなのも、そこに雄弁な自然である海があるからだ。寄せて返す波の繰り返しを見ていると、なんとなく禅の心境ではないが、無心になれるような気がする。単純に気持ち良い。動物を見るのもそんな心境に近い。そういう言葉がいらない関係を欲しているのだ。

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海岸線の工場地帯を見ている時の言葉数は多い。まだ愛が浅いのだろう。