ストレンジ・カー・ライフ

 毎年、母親の誕生日に翌年の手帳を買うようになった。今年の分も昨日手に入れたのだが、母親の誕生日は先月だ。1カ月遅れになったのは、その手帳が確実に手に入る店がクルマで行くような場所にあるからだ。いや、電車でも行けるしネットでも買えるが、僕がクルマで行きたいというだけだ。

 僕は昨年末にクルマを手放してしまった。年末に用事で出かけようとした時にバッテリーが上がっており、もうウンザリしてしまったのだ。古いクルマに乗っている(ビンテージ的な意味ではない)から、冬場はバッテリーが上がらないように毎日動かした方が良いのだが、それを怠っていたのだ。

 つまりは、その程度の使用頻度なのだ。その朝、出かけようと思ってクルマに乗り込み、エンジンがかからないことを確かめた瞬間に僕のクルマ愛は冷めてしまった。24歳で最初にクルマを手に入れてから、常に「自分のクルマ」を持っていたのだが、この瞬間に「もう要らない」と思ったのだ。

 クルマを「移動する自分の部屋」という感覚で愛用している人は多いのだろうか。僕にはその感覚があった。だからって、部屋で態度が豹変するわけじゃないので、運転中もいつもどおりの僕だ。運転すると性格が変わるという人は、もしかしたら内弁慶タイプの人なのかもしれない。知らんけど。

 でも、クルマは移動手段である。その先に目的地があるのだ。僕は目的もなくクルマを走らせて、行き着いた先でひと息ついて帰ってくるというような使い方がしたかった。が、実際の僕は仕事以外ではほとんどクルマを使わない。都内には電車で行くし、混む道を通る場所に行くのも電車だった。

 夜中にふと思いついて、高速を使って遠くまで繰り出し、ほど良きところで下に降りてファミレスで一服し、そのまま帰ってくるようなドライブをすると思っていた。25年のカーライフで、そんなことは一度もしなかった。カーライフよりも飲酒ライフを重視した結果なので、あまり後悔はない。

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クルマの運転中は、過ぎ去る景色を凝視できないので感動を見落とす。