メガネが顔の一部になる

 30歳以降の僕は、外出時はメガネをかけている。でも、最近はマスクを着用しているので、メガネが曇るのを避けるために外すことも多くなった。メガネを外すとハッキリ見えない。不便だ。もうメガネなしで街中を出歩くのは怖い。でも、メガネには慣れない。今まではずっとそう思ってきた。

 先日、酒場で会った女性に初めて「メガネが似合う」と言われた。初対面だからメガネ顔の僕がその人の印象のすべてだと思う。つまり、メガネ込みの顔として認識されたということだ。そして、それは30歳以降に出会った人たち全員に言えることだ。もう僕はメガネの人として生きているのだ。

 視力はずっと変わっていないが、最近は老眼も入ってきているので、ピントが合いにくくなってきた。だからPCで文章を打つ仕事の時は、裸眼でやっている。スマホをいじっている時も裸眼だ。裸眼率が上がった。この老化現象によってメガネをかける機会が減るというのも、因果な話だと思う。

 僕にとってメガネは「クルマを運転するための道具」に過ぎなかった。もっと言えば免許を取るための手段だ。僕が免許を取ったのは大学を卒業する間近、というより正式に免許を取ったのは入社式の翌週だった。入社式といっても、もうひとりの同期と一緒に社長の訓示を受ける程度のものだが。

 急にその会社の採用が決まったので、卒業間近に急いで免許合宿に行くことになった。その山梨の教習所でまず言われたのは「視力が規定値に満たない」とのこと。そこで、いきなり近くの眼鏡屋で初めてのメガネを作ることになった。あらゆるファッション性を拒絶する、冴えないメガネだった。

 そこからスタートした僕のメガネライフだが、基本的に運転する時しかかけないで過ごした。それが30歳を過ぎた頃、メガネの価格崩壊が起こった。今まで2万年は下らなかったのに、5千円ポッキリの安価でカジュアルなメガネが手に入るようになった。その波に乗ってメガネ化したのが僕だ。

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この頃、夜の道はメガネをかけていてもよく見えない。暗いの怖い。