樹木に茂る葉のような言葉

 文章を読んでいると、狙っていそうな表現で普通に笑ってしまい、自分のことを「他愛ない読者だな」と思ってしまうことがある。でも、読書は他愛ない人間が読んだ方がより楽しめると思う。マニアックに詰める楽しさもあるとは思うが、最初の仕掛けで感動できた方が得する部分は多いと思う。

 僕はマニアックになれないらしく、いつまで経っても初手で笑ったり感動したりしてしまう。感動探しのために読んでいるから、積極的に文章を感動方面に誘導して解釈している。以前も書いたと思うが、ある文章に対して勝手に想像したその後の展開が感動的で、一瞬本を閉じてしまう時もある。

 読者に想像の伸び代を持たせるのが上手な書き手なのだろう。本人も無数に伸びる展開を制御して、最適解を記しているのだろう。そんな中で、想像の枝葉を伸ばして読者に遊んでもらえそうな場面で、余白を作るのではないのだろうか。その余白が白すぎて「説明が足りない」と思う時もあるが。

 いま、新しく入った仕事で説明文を考えているところだ。先方にはすでに何例かを提示して、その都度いい返事をもらえずにいる。こちらの理解力と想像力と知識が必要になる仕事だが、説明文自体のボリュームはそれほど多くはない。むしろ短く、という指示だ。キャッチコピーのような感じだ。

 よく刑事ドラマで天才捜査官がやるような、細かいヒントをコラージュしてひとつの解に辿り着く「閃き」のシーンがある。あれを真似して、さっきノートにランダムにその事案に関する関連ワードを書いてページを埋めてみた。なるほど、まったく何も浮かばないけれど、気持ちの整理はできた。

 その新しい仕事に関する言葉探しで、ここ1週間以上、常に脳のどこかが稼働している。だから、いま新しい情報をあまり入れたくない。そんな時に限って、ずっと探していた本が見つかる。後の楽しみと思っていたのだが、つい空いた時間に読んでしまった。面白いが仕事のヒントにはならない。

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干し柿自体は好きではないが、干されている柿には「無心」を感じて和む。