重心低く、バネを使って飛べ

 自分としてはかなり頑張ったと思うことでも、その頑張りが他人に伝わらないことは多い。逆に、自分が何も頑張らずに集中できるようなことは他人が褒めてくれたりする。その褒め方は揶揄とも取れる場合もあるが、とはいえ、その人にとっては「自分にはできないこと」だと褒めているようだ。

 仕事場で、その仕事の発注元の人間が僕を褒めることはまずない。褒めると評価したことと同義だから、それに対する対価を引き上げる必要があると思うのかもしれない。早く仕事を済ませれば、それだけ仕事の量は増える。でも評価を上げずに仕事の量だけ増やすので、僕の作業が増えるだけだ。

 だから仕事場で褒めて欲しいとは思わない。仕事場での僕は、いかにしてギャラ交渉に持ち込めるかだけを考えている。逆に先方は、ギャラ交渉の話題が出ないよう仕事量で僕を黙らせる。ちょっと仕事量が多すぎな気がしても、何食わぬ顔で「これくらいは今日中に終わるでしょう」と言われる。

 そういう綱引きをしながら作業をしているので、基本的に仕事中はイライラしている。その上PCのスペックが低く、作業環境が劣悪なのでサクサク進まない。そんな些細なストレスを積み重ね、それでもやっと年末最初のピークが終わった。ひとつの終末は別の誕生を意味する、などとも言うが。

 果たして僕は褒めて欲しいのだろうか。正当に評価されたい願望はあるけれど、他人の正当な評価を自分が受け入れることは難しそうだ。必ず自己評価を下回ると思われる。単純なその仕事に対する取り組み以外の、感情的な部分や個人的事情による条件のようなノイズを含んで評価しているのだ。

 例えば「気分的に乗っていないのに我慢して仕事したから、その分を上乗せしてくれ」と、いや自分ではこんなことは言わないが、そのような個人的なエクスキューズを感情的に取り込んでしまうのだ。ここ数週間の自分の態度を鑑みて、もっと冷静かつ謙虚な姿勢を取り戻すべきだと思っている。

f:id:SUZICOM:20201114141154j:plain

また伊勢参りに行って感情をリセットしようかな。いや、それはいいや。