ネガティブ・ポジティブ互換性

 昨日ここで記した仕事の愚痴を居酒屋の店員さんや数人の常連に漏らしたところ、その仕事は「楽しそうだなぁ」と誰もがいう。確かに楽しんでしまえば、それは役得でしかないようにも思える。本来なら、その仕事のプロでもない僕ができるはずのない仕事を任されるのだ。楽しんだ方がトクだ。

 こうやってひとつの問題をクリアすると、その方式で解決できる諸問題は多そうに感じられる。まるで無敵になったようだ。スターを手に入れたマリオのように、向かう所敵なしのBダッシュで突き進んでいける。でも、気をつけた方がいい。スターで無敵状態でも穴に落ちればマリオは死ぬのだ。

 なんでもポジティブ解釈するのは楽観的に過ぎる。とは言え、すべてのことをネガティブな側面からしか見れないのも臆病すぎるというもの。適度に大胆に、ほどよく慎重に行きたいものだ。この辺のさじ加減を上手くやっているつもりでも、全部が逆を選んでいるというのが僕のコレまでの常だ。

 慎重にすべきところで大胆になって大怪我したり、思い切って飛んだ方が良い結果につながる場面なのに臆してチャンスを逃すのだ。前半生での僕は成り行き任せで、自分が求めていれば流れが向こうから来ることが多かった。だから、今でも不用意に流れに乗ってしまう。根っから能天気なのだ。

 その能天気さにブレーキをかけるため、たまに選択を迫られる場面で拒否するようにしている。その機能はランダムで、熟考の末の拒否ではなく直感で判断している。その直感の根拠は「たまには断らないと」というボンヤリしたものだ。それがクセになって、新しいことは比較的断りがちになる。

 ポジティブに引き受けるにしても、ネガティブに断るにしても、僕の根本は能天気に尽きる。その後のリスクをあまり計算に入れていない。あるのは面倒臭くないかとか、楽しそうかなど、導入の懸念だ。そこから先の見通しなど、まだやっていないことで悩むことはない。一度真剣に悩むべきか?

f:id:SUZICOM:20201025114935j:plain

ベトナム料理・バインミー専門店でフォーを頼む。僕はそんな人間だ。