空前絶後のシュプールを描け

 いまは、暦の上では秋に属する季節なのだろうか。肌感としては冬と言っても差し支えないような気がする。自分で使っておいて言うのも変だが、この「肌感」という言葉には違和感がある。意味としては「実感」と同じなのだろうし、もっと正確に言えば「肌感覚」と表記すべき言葉なのだろう。

 そもそも、この肌感に違和感を感じるのは、別の似たような言葉に原因がある。それは「サイズ感」だ。最近は行かないので分からないが、店員が客に張り付くようなアパレルの店舗でよく聞いた言葉だ。要は「サイズ」のことなのだが、これに「感」を付けることでセンスが問われることになる。

 普通にジャストサイズを勧めるなら「感」なんて付ける必要はない。当たり前に「サイズ合ってます」で良いのだ。でも、このサイズ感になると、それは「現代のサイズ」なのだ。その時代が「オーバーサイズで着ることがトレンド」なのだとしたら、サイズ感的にはワンサイズ上を勧めるだろう。

 上のように僕なりに「サイズ感問題」を踏まえてはいるが、それでも好きな言葉ではない。これなら「サイズみ」で良い。若者言葉としては古いのかもしれないが、この「み」は世代が違っても違和感がない。だから僕個人としては「サイズみ」を推していこうと思う。いや、サイズはサイズだな。

 話が大幅に逸れたが一応元に戻して、寒くなると精神的には冬眠してしまうという僕の怠惰問題について触れたい。冬でもアクティブに遊ぶことはできる。スキーが趣味という人は、休みごとに雪山に出かけていく。ものすごくタフだ。その趣味が高じて、キャンピングカーを手にいれる人も多い。

 不便な趣味を持つと、そこから派生して多方面に趣味の枝葉が分かれるのだろう。僕のように不便を受け入れてしまう人間は伸びない。便利に変えようと努力するから楽しいし、手をつけてしまうと後には引けないという「退路を断つ」効果も生まれる。なにか、不便みのある趣味はないだろうか。

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飲食は趣味たり得ない。それはただ腹を満たすための本能である。