ウィスパー&ヌードル

 暑いと外食する気分にならない。でも、ちょっと涼しくなると、またすぐに行きつけのラーメン屋に行きたくなる。濃ゆいのを体内に打ち込んで、自分で自分を騙すような感覚だ。「オレはこんなに濃ゆいものを食べても消化できる元気印なんだぞー」と大声で叫んで、この暑い夏を乗り切るのだ。

 ところで「元気印」って何だ? いつの間にか出てきたこの言葉、むかしから嫌いだったなぁ。何となく「無知な元気」という感じで、その無知さ加減も「体制側に都合のいい無知」という気がする。分別のあるバカというポジションに見えるので、空疎な明るさが悲しく見えるタイプだと感じる。

 まあ元気印が何であれ、僕には関係のないこと。僕も自分に濃ゆいラーメンを打ち込んで元気印を擬態して暑い夏を乗り切る、分別ある側の人間なわけだ。昨日はそのラーメン屋に行って、でも結局それほど濃ゆくないラーメンを頼んでしまった。まだ元気印に対する違和感が残っていたのだろう。

 しばらく客は僕ひとりだったが、食べている途中で後客がひとり入ってきた。疲れた様子で店主と話しているのだが、お互いの声が絶対に届いていない。片方が少し話すたびに、もう片方が「え?」と聞き返す繰り返しなのだ。聞き返されても、お互い最初に出した以上の音量では返さないという。

 以前から僕も、店主の声は聞き取りにくいと思っていた。カウンターを挟むと、意外と声は届かないものだ。こちらの話も聞き返される。それを知っているから、話す時は大きめの声を出すようになる。それが、まったく譲歩しないで通常以下の音量で話しているから、第3者的には気持ちが悪い。

 僕には1文字も聞き取れなかったのだが、それでも2人の会話は成立しているようだった。たまに笑ったりしている。盛り上がっているのだ。おそらく、その客とはいつも同じ話題を話しているのだろう。その前提で、辛うじて聞こえてきた断片を推理して盛り上がる高等技術を目の当たりにした。