勝手に『かすみ草』を検証

 僕は斉藤和義の『かすみ草』という曲が好きだ。この曲はいわゆるアルバム曲だと思うのだが、ちと調べたら某有名ファストファッションブランドのCMタイアップ曲になっていた時期があったらしい。その頃はピンと来てなかったようだ。例によって、PCでシャッフル再生中に再発見したのだ。

 シンプルな弾き語り曲なのだが、サビの歌詞が刺さってしまった。【もしも愛に背丈があったなら、君を見上げてしまった】という部分がソレだ。このラインが、僕の個人的な体験と相まって心に深く突き刺さったのだ。自分の薄情さを見透かされてしまったような痛みを伴って、沁みてきたのだ。

 他人と比較するのは無意味だと思うが、それでも僕の数少ない恋愛経験を一般論として語るのには抵抗がある。だから、ごく個人的な経験としてここに記すことにする。僕が【君を見上げてしまった】瞬間は、関係性を発展させたいという提案が先方から出た時だ。つまりは結婚を示唆された時だ。

 そのような僕の思い当たる部分をグサッと突き刺したのが『かすみ草』の歌詞だった。僕が良い歳になっても独身なのは、選択と拒否を繰り返してきたからだ。人生の岐路で、いつもあらぬ方向に走り出す。それは逃避だと思うのだが、選ばないことで得られる自由にしがみついているとも言える。

 あと、これは僕の誤解というか拡大解釈なのかもしれないが、見上げるほど大きく感じる相手のことを「怖い」と思ってしまうのだ。僕と同じように時を過ごしていたはずが、相手は別の次元で生きていたのではないかと感じて引くのだ。結局、お互い「何もわかってなかった」ということである。

 そんな、わかり合えない寂しさも含め『かすみ草』は沁みる。相手への好意と期待、その期待が大きくなってズレが生じるのかもしれない。僕が期待したのは「変わらないこと」で、相手は「変わること」を望んだからすれ違ったのだ。変わらずにいるためには、変わり続けなければいけないのに。

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酒場で恋愛話をすると泣きそうなので、ネットの雑情報に紛れ込ませてみた。