間が悪いのは俺じゃない

 小さい頃、よく「間が悪い」と怒られた。今で言う「空気を読め」に近いことだろうけれど、子供に求める要素ではないと思う。しかも、それらのほとんどは誤解だった。僕は分かっていた。そこで弁解しても「うるさい」と一喝されるだけで、僕の立場が改善することは決してないということを。

 そんな間が悪い事案の中でも、僕がもっとも腹に据えかねている案件をご紹介する。僕の両親はどちらも秋田出身だ。親戚はほとんど秋田にいる。だから、子供の頃の長い休みには秋田に行くことが多かった。そんな帰省の際に起こった悲しい出来事だが、忘れたい話でもあるのでうろ覚えである。

 親戚とともに、どこかに出かけた時のことだ。帰りの電車の時間が迫っている中で、親戚の子供が駄菓子屋に寄ると言った。僕も子供なので、駄菓子屋は嬉しい。親戚のおばさんに「好きなのを1個ずつ選びな」と言われて、僕はチョコバー的なものにした。このチョイスが僕を地獄に突き落とす。

 僕が選んだチョコバーが、店頭在庫の残り1個だったのだ。ところが、親戚の子も僕のチョコバーが良いという。店主に言うと「裏にある」と言うので、取りに行ってもらった。その時に親戚のおばさんに「時間がない時に変なものを選ぶな」と怒られたのだった。これって僕の過失なのだろうか。

 親戚のおばさんは分かりやすく「我が子」に甘い。僕が秋田に行っている間はその家にお世話になるのだが、しっかり我が子とよその子として区別される。だから、このような場合、おばさんの性質を理解していれば選択肢はひとつ。そのチョコバーを親戚の子に譲り、僕は別のを選べば良いのだ。

 もっと言えば、ふたりで1個ずつ買えるようなものを「年上のお前が選べ」と思っていたフシもある。でも、僕もまだ小学生になったばかりという年頃だ。大人からの愛は平等に受け取れるという慢心があった。我慢した方が良いと瞬間的に思っても、なけなしの子供らしさを発揮して見せたのだ。

f:id:SUZICOM:20200824122121j:plain

観光地の裏で、悲しい思いをしている子供はきっといる(写真はイメージ)。