窓際はグレーな季節

 いま読んでいる本が残暑の季節の出来事らしいので、たまに読んでいて違和感がわいてしまう。こちらは滅法寒い部屋で読んでいるのに、汗がどうとか冷たい麦茶がどうとかいう表現が出てくる。やはり小説は、その舞台の季節と現実を合わせた方がいい。油断すると極寒の世界を想像してしまう。

 年齢とともに寒さに耐えられない体になってきた。かつては冬でも薄着なタイプだったはずだが、やけに風邪引くなと気付いて厚着するようになった。一度厚着に慣れてしまうと、もう薄着には戻れない。それから僕は重ね着過剰な男になった。冬場は平均5枚着ている。それでも全然温かくない。

 そこには僕のケチな性格が表れている。防寒性に優れた高価なアウターを買えば済む話なのだが、どうしても一点に大枚をはたけない。安物をいくつか買って寒さを凌ぐことになり、それであまり凌げてはいない。いい加減「買わなきゃな」と思っているうちに春になり、なんとなく忘れてしまう。

 寒さが苦手と感じているクセに冬をナメている。どこかにまだ、冬でも短パンの子供の魂が残っている。小学生の頃は「通年短パン」で過ごすヤツが何人かいた。低学年の頃は、それでも別にムリしている感じではなかった。もっとツワモノは「冬でも半袖短パン」だったが、それはさすがに寒い。

 アレは家庭の経済的な問題ではない。子供のうちは本当に短パンで真冬を過ごせてしまうのだ。僕が小学5年生の時に、真冬の秋田にひとりで旅行に行ったことがある。その時も短パンだった。大柄の小学生で顔もフケていたので、かなり違和感のある短パン姿だったろう。向こうでは心配された。

 秋田の駅に着いた時、駅のホームには雪が積もっていたような気がする。そのホームに降り立つ大柄の短パン小学生。あの瞬間、僕はTPOを肌で感じた。やはり小学生なので寒さへの耐性はある。僕が感じたのは、その場に合わせた服装があるということだ。人が心配するような薄着は良くない。

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これはそこそこ寒い時期の街だが、左の赤い服の子供たちは短パン姿である。