デリケートな人びと

 誰でも言われたら傷つく言葉はあると思うが、傷つき方には個人差があるようだ。僕は鈍感なので、または経年劣化にもよるのだろうけれど、ほとんど見かけの傷は負わない。ちょっと不機嫌になるとか、その日1日だけ気に病むことはあるかもしれないけれど、それほど深いダメージは負わない。

 ある言葉に対して極端な拒否反応を示すという意味での「傷つき」もあると思うけれど、それよりも、他人に対してダメージを加えようという意図を持って言葉を投げてくる、その悪意への絶望の方が大きいと僕は思う。それは行き過ぎた正義による場合もあるのだろうけれど、大抵は悪ふざけだ。

 配慮が欠けた発言は、その場のノリで多少言い過ぎても「許される」と過信して思わず出た言葉だろう。でも、人間の柔らかい部分を貫いた言葉というのは意外と深く刺さる。その場のノリが許しても、直接浴びせられた個人は決して許さない。戦うか、忘れたふりして呪うか選択することになる。

 その場で戦える人なら傷つかないで済むだろう。そもそも戦える人であれば、最初からそのような傷を負わない可能性もある。ナイーブな神経の持ち主は、弱さも兼ねている場合が多い。それは優しさでもあるのだが、大きくて包容力のある優しさとは違い、繊細で壊れやすい方の優しさだと思う。

 子供の頃の僕は、かなり打たれ弱かった。周囲の子供が放つむき出しの悪意に対して、あまりにも無防備だった。配慮のない言葉を発してくる友達の、その「配慮のなさ」がすでに悲しい。だから、すぐに泣いた。繊細な部分があったのだ。でも、こちらの繊細さなど子供から見ればただの弱点だ。

 当時は、繊細で楽観的で天邪鬼という自分を持て余してもいた。泣くことでイジられつつ、それに負けない強さのようなものも内心に隠し持っていた。だから、泣いても傷つかない。その場ではダメージを負っているのだが、すぐに立ち直る。それでも、当時言われた言葉は今でも心に残っている。

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「相手の前ですぐ泣くというのも戦い方じゃよ」と毘沙門天も言っている?