今日を生きられない

 日記を兼ねて続けている当ブログであるが、こう毎日家にこもっていたのでは更新するような出来事は起こらない。内面の変化を記すだけでも良いとは思うが、あまり内面ばかり向いていると自己嫌悪で死にたくなる。いや、死にたくはならない。それに、日記のために考えるのも本末転倒である。

 当然、いつでも何か考えている。人間とはそういう生物なんだろう。無心を心がけたい時でも、なかなか無心にはなれない。それに、無心になりたいシチュエーションというのも限定される。思いつくのは葬式で、誰かの行動や言動がツボに入ってしまい、笑けて来るのを誤魔化す時くらいだろう。

 また、仕事や趣味とは全く関連しない思いつきが降りて来る時もある。どこから降りて来るのかといえば、自分の脳からだ。だから降りるというより湧いて来るのだろう。アイデアは湧くものだ。唐突に「生きるヒント」みたいな大げさなテーマの、答えに近い発想がポッと浮かんで来る時がある。

 年齢を重ねるに従って「いいこと」を言いたがる。ステレオタイプな言葉じゃない、自分独自の発想で、若者に人生の助言をしたくなるのだ。でも、それは往々にして誰かの借り物だ。その借り物を、あたかも自分発信であるかのように語り、あとでほんのり後悔するのである。そんな繰り返しだ。

 僕が酔って他人に言う言葉はふたつだ。それは「人は絶対に生まれ変わらない」と「変わり続けるから変わらず生きていける」という言葉だ。どちらも趣旨は同じで、今を一生懸命に生きろってことだ。この人生一発で燃え尽きたいし、そのための工夫を続けていればなりたい自分になれるはずだ。

 この言葉は他人に言うためにカスタムしてあるが、出自は他人から拝借したものだ。特に後者は、もしかしたらカスタムもしていない。そして、自分に置き換えて考えてみると途端に怪しくなる。僕はこの人生で燃え尽きるように生きているのか。変わり続けているのか。そんな自問自答の日々だ。

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生きるヒントを考える前に、もっと実人生を真剣に生きなさい。by俺