お茶の淹れ方

 社会人になりたての頃、最初に入った会社の営業先で、いつも丁寧にお茶を出してくれる人がいた。あるメーカーの研修施設で講師のようなことをしている人だった。役員定年して嘱託社員ではあるのだが、開発部門にも関わっているので営業に行くのだ。というより知恵を借りに行く感覚だった。

 僕の提案した製品がそこで採用されて、広く商品化されるようなことは全くなかった。それでも、僕の勤めていた会社にとっては功労者でもあるようなので、挨拶は欠かすなと指示されていた。僕としても、営業先のアポが取れないような時にフラッと顔を出して話し相手になってもらったりした。

 研修施設なので比較的ヒマではあるから、不意の訪問でも「ま、上がりなさい」と受け入れてくれた。迷惑そうなそぶりも見せずという形容をつけるほどウェルカムな感じではなかったが、それでも毎回、丁寧にお茶を淹れてくれた。なんとなく、その所作でモードを切り替えている感じもあった。

 その後も、いくつか職を変えるたびに、営業という体裁で他社に訪問する機会は何度もあった。その中で、お茶をちゃんと淹れてくれたなぁと思い出すのは、その研修施設の人くらいだ。供される飲み物で多いのはコーヒーだが、あの煮詰まったコーヒーほど「飲まされてる感」の強いものはない。

 勝手に訪問しておいてコーヒーが不味いなどと言われたくもないだろうけれど、僕の心の声が「ちゃんとお茶を淹れなさいよ」と語りかけてくるのだ。味と香りで刷り込まれた記憶というのは強いものだ。その時は若かったので、お茶の味や淹れ方などに気を留めていなかった。でも、覚えている。

 まず、ポットの湯で人数分の茶碗を軽く温めてから、急須に淹れたお茶をちょっとずつ注ぎ足していくのだ。一度だけ「僕が淹れましょうか」と気を利かせたつもりで言ってみたが、すぐ後悔した。同じように淹れられるわけがないのだ。その気配を察して「いや、いいよ」と言ってくれたものだ。

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川沿いにある謎の観測所。こういうヒマそうな勤務先は理想だが、無人だ。