体が歩きたがっている

 そろそろ体を動かさなければと思いつつ、なかなか早起きしてジョギングする計画を実行に移せていない。早起きといっても、普通の会社員が出社するタイミングより少し遅いくらいだ。それで、走ってスッキリした頭で午前中から仕事をサクサクこなして、午後はゆったり過ごすのが理想なのだ。

 この理想は簡単に実現できる。僕の意思が人並みであれば、明日からでも実行できる。つまり、僕の意思は人並外れて弱いということだ。単なる甘えである。これだけ自分をディスっても、打ち込んでいる自分には一向に響いていない。タイピングの練習程度の効果しかない。それでも問うてみる。

 走る気はあるのか? これだけジョギングを放置している割に、内心では走る自分を夢見ている。僕の家から最寄りの駅までは約2キロほどの距離なのだが、通報は自転車で、雨の日ならバスで行く。そこを、走りが足りていない最近の僕は歩いて行く。体が歩きたがっているのだ。体の声を聞け!

 昨日は、よく行く居酒屋がランチ営業していたので、昼の気晴らしを兼ねて食べに行った。そこでは昼からビールも飲めちゃうわけだが、もちろん断酒中の僕は飲まない。走るという能動的な行為には強い意志を発揮できない僕であるが、断酒という消極的な行為には強い意志で臨めるようである。

 ランチのナポリタンを食べながら、ここで食事だけをしている自分に違和感が湧いてきた。片手にビールのグラスをもち、スパゲティをすすりながらビールで流し込むのが日常だった。だから、普通に食べているのが変な感じがする。歩き方を忘れた人のように、食べるテンポが心地よくないのだ。

 以前も記したが、僕にとっては「断酒は容易く、酒場通い断ちは難し」なのである。酒を飲まないことでのストレスは別にないのだが、酒場に行かないことで生じるストレスは大きい。僕の魂の大部分は酒場にあるのだろう。それ以外の場所にいる僕は抜け殻、そんな感覚が僕を酒場へと誘うのだ。

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スパゲティを食べる際に、ソースを飛び散らせずに食べることは不可能である。