思春期ごっこ

 子供というのは意外と現実的なもので、あまり情緒に流されたりしないものだ。思春期に「やりそうなこと」をそのままやることはない。恥ずかしいからだ。それでも、魔がさす時がある。ステレオタイプな思春期っぽさを演じてしまうのだ。その落とし穴は、だいたい中学生あたりでやってくる。

 梅雨前の休日だったと思うが、いつも遊んでいる面々と自転車で出かけたことがある。出かけるといっても、我らが住む埼玉東南の町からひたすら川を下って東京湾に出るというもの。安易な冒険だが、みんな暇だったし、なんとなく思い出作りのような感覚もあったかもしれない。青春ごっこだ。

 その自転車移動も、あまり市外に出ることがなかった僕には軽くドキドキする経験ではあった。川沿いの道は、途中までは勝手知ったる地元の道ではある。だが、途中からは全然見覚えのない景色になる。川幅も広くなってきて、コンクリートの土手が高くなってくる。田舎者にとっては都会的だ。

 あと、中学生がイチバン警戒するのが「土地土地のヤンキー」だ。いま考えれば、明るい時間に土手の遊歩道的なところでヤンキーと出くわすことはないように思う。でも、中学生の想像力では「河川敷でタイマン勝負するヤンキー」という絵が浮かんでしまう。そんな決闘も意識して走っていた。

 結局その極小な冒険は、小さなトラブルの連続であまりいい思い出にはならなかった。快晴だったのが、途中で夕立に降られてしまったこと。その後、雨は止んだが、濡れた服が生乾きで臭かったこと(これは僕だけの話)。よりにもよって、帰り道で僕の自転車がパンクしてしまったことなどだ。

 すべて最後のパンクのせいなのだが、自分がトラブルの元凶ということが歯がゆい。それ以降、僕は自分の中で「逆に持ってる」という劣等感がある。小さいトラブルメーカーなのだ。面白いことは好きだけれど、自分が笑われるのは嫌なのだ。そんな自分の小ささに気づかせてくれた冒険だった。

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地元の川は、いつ行っても魚の死骸の腐乱臭が漂う。もっぱら鯉である。