音楽祭がやってくる

 例年、5月というのは音楽フェスに行くことが多い。気に入っていたフェスがふたつあったので、多いというか、そのふたつに行くだけだが。過去形なのは、今年は延期になったからだ。その分、得られたはずの音楽的体験を欲しているので、最近はずっと音楽ばっかり聴いているような気がする。

 その延期になったフェスのうちのひとつは、オンライン開催でやるということだ。通信状況が芳しくない我が家にとっては、ちょっと心配なフェスの形態ではある。でも、聴いてみようと思う。そこに出演予定のサニーデイ・サービス曽我部恵一さんは、ここ数年の僕の音楽的な拠り所だからだ。

 かつては「キヨシローがいるから大丈夫」という気分があった。日本の音楽は安泰というか、この人がいる限りは軌道修正しながらも良くなるんだろうなと信じられた。2009年に亡くなってからは、そういえば「佐野元春もいるじゃないか」と彼を拠り所にした。曽我部さんもそういう存在だ。

 別に僕は音楽家でもなければ、音楽産業の中で生計を立てている者でもない。だから、彼らを拠り所にしているというのは、単なる音楽旅行の始発点や経由地というような「寄る辺」なのである。ごく簡単に言ってしまえば、音楽に詳しくて、いろいろ教えてくれる地元の先輩のような感覚である。

 数年前のフェスで、佐野元春さんが観客に向かって「みんな、サバイブしてくれてありがとう」と言った言葉が忘れられない。ああいう体験をするためにライブに行っているんだ。ライブでは「知っている曲を聴きたくて観ている」部分もあるが、そこでしか体験できないことの方が価値は大きい。

 配信でのフェスというのは、未体験のものだ。このフォーマットでの音楽体験を「ライブの代わり」と考えるのはやめようと思っている。新しい視聴形態として、聴衆も新しい感じ方を模索しなければいけない。そういう新しさへの期待はある。ただ、僕の懸念はやはり通信状況の脆弱性につきる。

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数年前の築地。こういう情緒とフィジカルな接触に飢えている。