そこにひとすじの先輩風

 後輩に対して横柄な態度を取るのが恥ずかしく感じるので、あまり偉ぶらないで話すようにしていたら、そうなっていた。だから、日常的にもナメられやすい人間になってしまったところはある。自業自得だ。自分で自分の格を落としながら生きているので、低く見られるが初手のハードルも低い。

 それによって、長く付き合うと「意外性」のようなものを見せることはできる。とはいえ、初手の印象というのは拭い去れないものがあるので、そんな意外性も効力は薄い。やはり、時間が経つと元のナメられる格の低い人間として扱われる。それは、僕が生きやすい空間でもあるので文句はない。

 ただ、全人類からナメられたいわけじゃないので、知らない人からはナメられたくない。ナメるというか、不当に軽い扱いをして欲しくない。それだけの当たり前のことだ。だから、ほとんどの場ではナメられない。それに、ナメられたかどうかの判断は僕の主観のみによってジャッジされるのだ。

 大学時代は、後輩と「ちょうどの関係」が築けていたように思う。先輩というのは、後輩と飯に行ったらおごるものだ。でも、僕は特に後輩からたかられることはなかった。金回りのいい先輩として認識されていなかったのだろう。そうなると、先輩としての格は必然的に落ちる。威厳がないのだ。

 それでも後輩は、僕に対して適度な距離で接してきた。ふざけた会話もするし、ナメた口も聞く。それでも親しみを感じられる程度の近さがあったと思う。もちろん一部の後輩に限った話だ。ただ、僕はいろんな後輩と話したがるタイプなので、パッと見て「変な奴だな」と思うと声をかけていた。

 大学の卒業間近、部活も引退して学校の近くをフラフラしていたら、後輩数人と出くわした。昼時だったので、近くの餃子屋で一緒に食べた。そこで後輩から「最後はおごってくださいよ」と言われた。こういう後輩サービスをサボってきたから自分から言えないのだ。よく出来た後輩だと思った。

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ラグビー部の後輩を思い出すと、ほんのすこしだけラグビーをやりたくなる。