視点を変える練習

 自分に限らず、人が物事を考える視点というのは主観でしかない。それを客観的な言葉や資料で補完して、物事に対する理解を深めていくのが研究というものだろう。一般的には主観の段階で終わっていることが大多数だと思う。すべてはそれぞれの個人的な意見であり、ひとつの指標に過ぎない。

 それでも、刺激的な意見というか、新しい知見を手に入れると誰かに披露したくなる。それは、出自を明らかにして話せば他人の言葉の代読であり、自分が手に入れた知見として消化した後なら個人の意見だろう。個人の意見として語る場合は、プラスアルファの情報を足した方が良いとは思うが。

 また、自分に起こったことを他人に話す場合は、当然ながら主観でしか話せない。ただ、経験した直後ならば主観だが、それが時間を経てしまうと客観であり、記憶も捏造されてしまう。ちょうど、歴史が「為政者の都合で書き換えられる」という本を読んでいるところだったので思ったことだが。

 僕が学生時代、ラグビー部に入っていた頃のことである。部員数が3桁を越すくらいだったので、レギュラー争いも熾烈となる。上から順にチーム分けされ、練習試合の所属チームで自分の現状を知るのだが、普段の練習は同じグラウンドで行っているので、そこで下位の屈辱を味わうことはない。

 チームは6軍くらいまであったと思うが、僕はだいたい2〜3軍といった位置にいた。ただ、背が高い選手が少なかったので、1軍で負傷者が出ると交代で上に昇格することもあった。そうやって上を蹴落として昇格するものなのだが、次の試合では当たり前のように元のチームに戻されてしまう。

 最終学年では2軍に定着していたが、レギュラー選手が負傷したので、入れ替わってシーズンインした。開幕から3試合はレギュラーで出場し、慣れたところで負傷者が復帰してアッサリ降格。だから、僕の感覚では補欠だ。でも、一部の同期にはレギュラーだと言われる。視点が違うとこうなる。