あの小さな家で、僕は

 夢で見る光景は、現実とは微妙に異なっているものだ。僕の感覚では、眠っている間に映像記憶の整理を行うので、そのランダムな映像を眺めているだけのように思われる。それでも、そこで見させられている映像には意味があるような気がするし、何かしらのメッセージのように感じる時もある。

 僕の生家は、今はない。借家だったし、古い家だったので取り壊されていても不思議ではない。小さな家で、家族4人がぎゅうぎゅう詰めになって過ごしていたような感じだ。物心ついた頃から大きい家に住みたかったし、大柄の僕の住居が小さいことを揶揄する同級生も多かったので、嫌だった。

 今にして思うと、家族が暮らす環境としては悪くなかった。長屋のような作りで、小道沿いに並んだ同様の家々の人とは付き合いがあった。子供を育てる環境として、同世代が近所に住んでいるし、微妙な年齢差から小さな上下関係も学べる。誰かしら大人の目もあるので、安全面の心配も少ない。

 当時の僕の気持ちとしても、家自体が大きくなって欲しいとは思うが、引っ越したいとは思ってなかった。近所の関係性などで不自由な気分を味わうこともあったけれど、それでも嫌いになれなかった。あのエリアにいる人間が、当時の僕の世界のすべてだった。少なくとも、小学生の前半までは。

 近くに住んでいる人は悪く思えないのだ。犯罪を犯した人の近所で聞き込みをすると、よく「そんな人には見えなかった」と言うのは、誰にとっても近所の人は味方だと思えるからだろう。引きこもらなければ、となり近所が近ければ、なんとなく近い人には優しくしたい気持ちが芽生えるものだ。

 僕の生まれた、小さな家の並ぶ小さい世界は、幼なじみたちが引っ越して行って徐々に崩壊する。我が家族にしても、僕と妹が学校を終えるまでの我慢という感じだったと思う。その頃には近所の家々にも空き家が目立っていた。我々の引っ越しの日、隣の大家の孫がクルマを追いかけてきたっけ。

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別れの場面はいつでも悲しいものだ。二度と会えないのなら尚更。