他人の弁当チラ見する

 多くの飲食店がテイクアウトをはじめたので、それらの店を応援するような気持ちで、そこの弁当を持ち帰っている。料理自慢の店のテイクアウトなので旨いのだが、やはり店で食べるのとは勝手が違う。容器に入れて持ち帰ると貧相に見える場合がある。見た目がどうであれ、味は同じなのだが。

 弁当というと学校を思い出す。幼稚園から中学までは給食だったので、弁当を作ってもらうのは特別な日だけだった。小学校からずっと給食がマズかったので、弁当の日は嬉しかったような気がする。ただ、我が家の母は割とトリッキーな弁当を作る時があった。僕の好物を勘違いしていたようだ。

 ある日の弁当。中身を知らずに昼になって弁当箱のフタを開けると、そこにはおはぎがビッシリ詰まっていた。子供が使うアルミ製の楕円形の弁当箱に、おはぎのギャップ。しかも、おはぎに合うオカズなどないから単品のみ。僕はおはぎを好きでも嫌いでもなかったが、その日から嫌いになった。

 僕もよく、昼飯時まで中身がおはぎだけだと気がつかなかったものだ。おはぎを作るのは結構面倒なはずだ。我が家は狭い家だったので、そんな変わったものを作っていたらすぐに分かる。でも、なんとなく弁当の中身を「楽しみにとっておこう」という気持ちが、僕の中にあったように思われる。

 そのおはぎ事件から少しして、また珍奇な弁当が作られた。同じ弁当箱に詰められていたのはカレーライスだ。こちらは好物ではある。でも、当時の弁当箱のフタは、パッキンのついた密封性の高いものではなく、アルミのフタをかぶせるタイプのものだ。だから、ほとんどのカレーが漏れていた。

 おぼろげな記憶だと、そのカレーライス弁当は校庭で食べたような気がする。校庭の隅にある築山の上で、友達と二人で食べたはずだ。そいつは優しいやつだったんだと思う。あんなにカレーが漏れた弁当を食べている僕をバカにすることなく、また誰にも言いふらさなかった。誰だったんだろう。

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子供の頃の思い出語りには夕焼けがよく似合う。泣いても良いんだぜ。