劣等感で直滑降
思い出の倉庫を漁っていたら、埃をかぶったくだらない記憶がいくつか見つかった。小学生時代の、滑舌の悪い担任教師のせいで無駄に感じさせられた劣等感の思い出だ。小学校の担任は、すべての教科を教えるので1日中いっしょにいる。だから、授業内容に関係ない雑談をする機会も多くなる。
何かの話の途中で、突然その担任が「アメリカ旅行に行ったことがある人は手を挙げて」と聞いてきた。突拍子も無い質問だったし、そんなヤツはいないと思って周りを見ると、ほとんどの人間が手を挙げていた。これには心底驚いた。驚くと同時に、周囲と我が家の格差に恐ろしいものを感じた。
僕が小学生の頃は、今のようにポップに海外旅行に行く時代ではなかったはずだ。飛行機に乗る機会も、大学生になるまでなかった。そして、アメリカ旅行に行っても子供が楽しめるとは到底思えないのである。情報がなさすぎてピンとこないのだ。それが、大半の同級生が行っているという事実。
まるで担任が、僕に向かって「君の家だけなんだよ、海外旅行にも行けない下層の民は」とでも言っているかのように思えるほど。その時の僕はよほど担任を憎く思ったらしく、ついつい目が合ってしまった。すると、担任の口から「上野のアメ横、行ったこと無いか?」と聞かれて拍子抜けした。
この人の滑舌のせいで「アメヤ横丁」と「アメリカ旅行」を聞き間違えただけなのだ。その時はホッとしたけれど、何故アメ横の話をしていたかの記憶は一切残っていない。それよりも、ひとりでアメリカに行ったことのない少数派の悲哀を噛み締め、劣等感の闇に沈み込んでいた記憶だけがある。
この担任は、別の日にも急に「ダンシングガール」などと意味不明の英語を言い放って僕を困惑させたのだ。でも、前科者の言うことなので、また聞き間違えたのだろうと話の流れを追ってみた。すると、ダンシングガールの正体が見えてきた。「断水がある」と言ったのだ。この時は少し笑えた。