ブックストアは大人の階段

 東京と隣接しているとは言え、埼玉のハズレの不便な土地で育った者なので田舎臭い青春時代を過ごした。とにかく遊びがない。不良なら女の子とバイクなどを楽しんでいたのだろうと思うが、普通の子供はバイクに興味もなく女子も振り向かない。で、友達の家で喋っていても間が持たなくなる。

 冴えない中学生が向かうのは、冴えない地元の書店だった。オールドスクールな、老人の店主が長い立ち読み客にハタキで嫌がらせをするような個人経営の書店だ。その書店の隅から隅まで把握していた僕にとって興味があるのは、店主の死角になる奥まった棚にあった「成人図書」のコーナーだ。

 そこで、思う存分アタマの中に映像を叩き込むのが日課であった。ただ、友達と一緒に行っているので自分の世界に没頭できない。彼らと情報を共有しながら、ひそひそ声で感想を言い合う無邪気な子供なのだ。たまに店主が奥まで覗きに来るが、その時は文字通り蜘蛛の子散らす勢いで立ち去る。

 書店にはよく行ったが、お金がないので買うのは月に1回ほど。それも全部マンガだ。週間マンガ雑誌が全盛の時代だったが、中学生になった頃には僕の興味は青年誌の方に向いていた。同じ頃、サンデー系列の雑誌によく描いていた上條淳士という作家の絵が好きで、密かに注目していたものだ。

 なぜ密かにかと言うと、あまりにもカッコ良すぎる絵と世界観なので、大っぴらに人に言いにくかったのだ。有り体に言えば、カッコつけていると思われたくなかったのだ。だから、コソッとコミックスを集めて家で楽しんでいた。そう言う趣味は、一緒に書店に行く仲間とも共有していなかった。

 でも、いい加減心置きなく自分の趣味に合う漫画を立ち読みしたいと思って、市内の書店をひとりで探し回った。その甲斐もあり、いくつかマニアックな漫画が立ち読みしやすい書店を見つけることができた。そこで大友克洋の「童夢」を買い、今でも大事に持っている。それが中学時代の思い出。

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集合住宅の造形を見ていると、「童夢」の圧倒的な画力を思い出す。