スノードームに君と僕

 中年域に達してからの雪は、困ったものとしてしか見られない。クルマ移動の手間や、電車が止まるなどの交通障害への不安が先ずはよぎる。僕の記憶では、小学生くらいまでは雪が降るとはしゃいだものだ。雪だるまを作るとか雪合戦をするとか、遊び道具として雪の存在を捉えていたのだろう。

 あの頃、雪が降った日の放課後の校庭で同級生と喧嘩したことがある。喧嘩と言っても、相撲程度の格闘だったと思う。体格差もあったので、僕が雪の地面に叩きつけて勝利したはずだ。僕は、体格で優っている上に、もともと相撲が得意なのだ。それは誰にも言ってないし、誰からも言われない。

 雪に埋もれて悔し泣きする同級生を置いて、僕はさっさと下校した。学校から少し離れた所で、後ろから雪を踏むサクサクという音が近づいて来た。振り向くとさっき雪に沈めた同級生が、雪を球状に固めた大きな塊を持って走って来た。近くまで来て、その雪玉を僕にぶつけて走り去って行った。

 僕はポカンと立ち尽くし、走り去る彼を見送っていた。僕の立っている地点は、学校から出て30メートルくらいだ。先ほどの雪相撲校庭場所から歩いて3分くらいの時間経過だろうか。その間、あの大きさの雪玉を作るのは結構な労力のように思えた。そんなことを考えたらなんだか笑えてきた。

 子供には残酷なところがあると思うけど、それは団体の中で生まれる残虐性のような気がする。個別の付き合いの中では、残酷さよりも優しさが勝ることが多い。雪相撲で雪に埋めた僕も、雪玉をぶつけてきた彼も、やっていることはとても平和だ。怒りの感情も長時間持続しない性質だと思える。

 2年前、中学校の同窓会に行った時、その彼と再会した。僕は真っ先にあの雪玉事件を思い出したのだが、その話はしなかった。時間経過で僕的には「面白い話」になっているが、彼にとっては不愉快な思い出かもしれない。でも、僕としては雪玉制作秘話をどうしても聞きたい。次回は3年後か。

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出かけられない週末なので雪はちょうど良い。でも、あとで桜を見に行こう。