うしろにいるのは分かっている
誰の言葉だったろうか。人が亡くなった時には、その人の不在の輪郭に生前の人生が表れるような話を聞いたことがある。偉業を成し遂げたその人の実績が、本人の姿を空洞として見せつけてくるのだ。その人はもういない。ただ、その圧倒的な不在を噛み締めている間だけ、心の中で生き続ける。
世界中で新型コロナウイルスの感染が広がるパンデミックの状況下で、犠牲者も増え続けている。そんな中で、ついに、この国でイチバン面白い人間が逝ってしまった。愛と敬意を込めて、あえて子供の気持ちで敬称略で呼ばせてもらおう。志村けんの訃報に、世界の片隅から哀悼の意を表します。
僕が子供の頃は、土曜夜8時のお笑い地図をドリフターズとひょうきん族で争っていた。新しいもの好きの子供心としては、いろんなギャグが毎週のように生まれるひょうきん族の方がホットだった。新しいものに対して、すでにあるものが相対的に古く見えてしまうのは仕方のないことだと思う。
ただ、僕が当時イチバン好きだったのは「お笑いスター誕生」だった。土曜の昼間にやっていた勝ち抜きのネタ番組だ。その番組に出ていた「象さんのポット」というシュールなコンビが無性に好きだった。つまり、その頃の僕にはひょうきん族もドリフターズも存在としては新しくなかったのだ。
中学・高校と、いつでもお笑い番組への興味は持ち続けていた。そこではじまるのが「志村けんのだいじょうぶだぁ」である。ネットで調べると、レギュラー放送は僕が20歳になるまで続いていたようだ。熱心に全話をビデオに録ることはなかったが、仲間たちには好きな番組だと公言していた。
あの番組を通じて、いしのようこも好きになった。こちらも熱心に活動を追うことはなかったが、TV画面で見かけるたびに「いい女だなぁ」としみじみ思うのだ。そして、今後いしのようこを見るたびに志村けんの不在を想うのだろう。残してくれたものが多いので、何度でも想うことはできる。