下層レイヤーほぼ不可視

 多重になっているものは、上層のものしか目には見えない。当たり前のことだけれど、層を重ねていく過程を知っている人にとってには「見えない内側」のことも考えてしまうだろう。その層の上塗りは、下層を見えないように誤魔化したのか、さらに強固なものにするための補強なのかも大事だ。

 小学校の頃、写生大会というのがあった。校外学習の一環で、ちょっと遠足した先で絵の具で絵を描くのだ。絵を描くのは好きな子供だったのだが、写生大会は苦手だった。色を塗るのが下手なのだ。下書きではわりと上手く描けているのに、絵の具を塗る段階になるとイメージが崩壊してしまう。

 鉛筆で表現した濃淡が、絵の具では再現できないのである。いま考えれば、薄い色から濃い色に段々とコントラストをつけていけば良いと思う。でも、当時は「まず強い色から」と、濃い色を先に塗ってしまう。そこから水で徐々に薄めるので、グラデーションになってしまい絵がぼやけてしまう。

 最近話したお客さんは、子供の頃から色を塗るのが得意だったと言っていた。写生大会の絵なども、まず背景の薄い色を塗ってから、遠くのオブジェクトから描いていくというのだ。それを聞いて僕も「それ正解」と思ってしまった。当時も分かってはいたのだが、発想を行動に移せなかったのだ。

 そこは間違いなく「先生に怒られるから」ということなのだ。自分のアイデアが先生の指示を超えてしまうと、先生は恥をかいたと思うだろうという無駄配慮だ。もっといえば、その程度の信頼関係だったわけだ。それくらい当時の先生は「すぐ怒る」存在で、褒められた記憶はほとんどないのだ。

 最初、僕がお客さんに「背景から塗る」という話を聞いた段階では、僕とお客さんの発想の違いを「差」だと思っていた。でも、よくよく記憶を紐解いてみると、これは行動力の差なのだということに行き着く。その背景には、大人の圧力を勝手に忖度した子供の姿も見える。当事者だけに見える。

f:id:SUZICOM:20110204154801j:plain

写生大会のモチーフになりやすい木。そういえば、昔から構図のセンスも皆無。