掘り返した穴は浅い

 自分の持論とかこだわりのようなものは、成長の過程でコツコツ積み上げてきたものが多いと思う。いろいろ経験したことで辿り着いた自分なりの結論であれば、その言葉には多少の説得力があるだろう。でも、こと自分に置き換えて考えると、必ずしも経験から得られた持論じゃないものが多い。

 僕は、ある時期から強く「人は生まれ変わらない。だから、現世で燃え尽きるべき」ということを言うようになった。まあ、今できることを精一杯やれという意味だ。ただ、この言葉で僕が強調したいのは前半の部分だ。生まれ変わらないという言葉、これは経験のしようがない事柄だと思われる。

 なぜ僕がこの言葉を強調するようになったのか、特に出自を考えることはなかった。ところが、昨日ここで記したビーズの古い曲にそのヒントがあった。やはりカタカナ表記のビーズはピンとこないが、この表記にも僕なりのこだわりというか、このコラムのレギュレーションに準じたものである。

 さて、そのビーズの曲の歌詞で「『もし生まれ変わったら』なんて、目を輝かせて言ってたくない」というフレーズがある。それを最初に聴いたのは大学生くらいだと思うが、その時には別に生まれ変わりについて意固地に考えていなかったと思う。それよりも、毎日の部活の厳しさが勝っていた。

 社会人になって、暇になって、無駄なことを考えている時に脳の履歴に残っていたこのフレーズが浮上したのだろう。その曲は、後年発売されたベスト盤に歌詞を改変して収録されていた。生まれ変わりの記述は残っていた。だから、そこで思い出したのかもしれない。これは2度目の刷り込みだ。

 同じ曲を違うタイミングで聴いたので、複数の経験のように感じた可能性もある。点と点が繋がって線になると、何かの符号のように思えてくる。本当は同じ曲を聴いているのに、別の経験として脳が誤解し、認識として「生まれ変わりなんてない」という言葉に厚みが生じてしまったという仮説。

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学生時代、群馬の山奥でトンネルを掘るバイトではしゃぐ22才の自分。